「感染症の日本史」磯田道史 読書感想文
みなさんこんにちは、ミトコンです。
東京での新型コロナウイルスの新規感染者数が連日1000人を超えて、日本全国でも感染者が減少する傾向が見えないので不安が高まるばかりです。
今回は、『感染症の日本史』(2020年 磯田道史 文春新書)を読んだので、感想を書きます。
要約
人類は、文明を発達させて家畜と暮らすようになってから、さまざまな感染症と戦ってきました。
その中でも最も被害が出たのがスペイン風邪です。
スペイン風邪は、全世界で1000万人以上の死者を出しました。日本でも1918年5月から7月に第一波、1918年の8月から1919年5月に第二波、1919年の12月から1920年の5月に第3波と3回も波が来ました。そして死者数は38万にも登りました。
世界規模で感染症が流行すると戦争と同程度もしくはそれ以上の被害が出るため、人類は戦争対策よりも先に感染症対策をしなければいけません。
昔の日本の感染症の対策は、ほとんどが神頼みでした。最も有名なのが奈良の大仏で天然痘を鎮めるために建立されました。その他にも、お供物をする神事や玄関に張り紙を貼ったりすることで疫病対策をしていました。
江戸時代に入り、西洋医学の流入により医療リテラシーは増したものの、現代に比べれば遠く及びません。当時、天然痘が流行しました。その頃から、自粛という対策はありましたが、自粛に伴う給付は藩により異なり、大村藩では、感染者を山中の小屋に隔離し放置する政策が取られ、10人中7~8人が亡くなりました。一方の岩国藩は特定の村に隔離させるのですが、一回の流行につき米200石の給付がありました。徹底した、隔離と給付により藩主への感染は防がれました。マクロな視点で見ると如何に徹底した対策をすることが疫病を倒すのに必要かが分かります。
政府による対策や支援も重要ですが、個人個人の対策もまた重要です。大正時代、上記の通りスペイン風邪が流行しました。当時、世の中は第一次世界大戦が終盤と終戦の渦中にあり、国外からの帰国者と世の中のお祭りムードによりスペイン風邪は瞬く間に広がりました。
一般人は運動会などの学校の催し物や終戦後の提灯行列、花火など人が移動、密集、接触するところで感染者が急増しました。総理大臣などの国政に関わる人も選挙活動のための訪問や宴会への参加によりスペイン風邪に感染しました。天皇は戦争の際に重要な働きをする軍人との接触により感染しました。
当時の主な対策は、外出自粛やマスク、うがいなど現在のものとあまり変わりません。ワクチンなるものも存在しましたが、効果はほとんど無かったようです。また、感染し窮地に追い込まれた際に人間の根底に流れるアイデンティティーが現れるのも見ものです。
まとめると、新規の感染症に対する我々人類の対策は、自粛、そして政府や自治体からの給付が重要で、感染が増加から減少傾向に遷移し安定してきたら自粛を徐々に解除し、また急増してきたら自粛と給付を行う。そうしてワクチンが完成するのを辛抱強く待つというのが感染症攻略の鍵となります。
感想
日本も昔から感染症に苦しめられてきましたが、昔と今で完全に違う点が挙げられます。それは、検査によって風邪の原因を特定でき、発症するよりも早く対策が立てれるという点です。この利点と自粛、給付を徹底することで人類は、ウイルスに対して優位に戦える思います。しかし、現在の日本では給付などの支援の遅れ、検査設備や病院のベッド数の不足など後手後手に回ってしまっています。ニュージーランド、台湾、韓国のコロナ対策に成功している国に見習い、しっかり対策をするべきだと思いました。
また、政治家も高齢の方が多く、感染し死にたくなければ会食などを自粛するべきだと思います。国会議員が感染し、国政が回らなくなれば、本当に日本は終わってしまうでしょう。
一度目の非常事態宣言の際、国民の努力により、感染は一時治りました。これは、日本にはキスやハグをする文化が無いこと、外は「汚い」、内は「清浄」などの文化が昔から醸成されていたことなどが貢献しており、世界に誇れる物でしょう。しかし、自粛以外のことが追いついていないように感じました。
今こそ、感染症の歴史を学び、新型コロナウイルスに対して優位に立つべきなのではないでしょうか。